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 今日はぷくぷくくらぶでした。
 ご参加くださった皆様、お疲れ様でした!!

 今日は自立した地域での生活を考える、というテーマで、当事者さんに来ていただき、お話を伺いました。
 ご本人さん、とても喜んで帰っていかれました。
 聞いてくださった皆さん、どうだったでしょうか??
 感想、皆さん良く書いてくださってあり、Iさんは大喜びでした。丁寧な感想を寄せてくださり、ありがとうございました~!

 何となく、地域での生活や、支援について、わかっていただけたでしょうか??
 なかなか耳の痛い言葉や、胸に残るお話が聞けたように思います。
 滅多に無い、貴重な機会、でしたね。
 
 現在進行形の彼女です。今度会う時にはまた全然違う展開になっているのかもしれません。数ヵ月後の、彼女の変化、楽しみです。

 私が感じたことを少し。

 「理解すること」と「意思を持つこと」は違うのだな~と、そんなことを思いました。
 確かにIさんは、知的にはかなり高いです。皆さんのお子さんよりも理解力はあるのかもしれません。今日もたくさんの難しい話を理解し、そして答えてくださいました。
 彼女は良く言えばすれていない、純粋な部分を多く持っています。言い方を変えれば周囲の言葉に影響されやすいようです。
 今日のお話も、もしかするとあれは○○さんが言っていたセリフかしら?なんてことも、無いことは無かった…かもしれません。
 
 理解できても、自分の意思を持つこととは別問題なんだな~、などと思いました。

 少し昔までは、知的障害は「精神薄弱」という言葉で言われていました。差別用語で不適切です。
 ただ。
 意思を持つのが弱かったりしがちなのも事実…。

 じゃあ、なんで意思を持ちにくいの?
 というと、
 意思を持つには、状況の理解や、自分が選択する選択肢の一つ一つについて理解が出来ていないといけないし、そもそも選択肢があることを知っていないといけない、もっというと、選択の機会がまずなければ意思もへったくれも無い。

 つまり、私達周囲の人間が、子ども達に対して、
 ちゃんと理解できるような丁寧な説明が出来ているのか?
 選択肢の一つ一つを伝え、そして理解力が弱いのだから伝える際に、できればちゃんと経験させてあげているのか?(実際にやってみないとわからないことも多いので、口で説明するだけじゃわかりにくいのだ)
 毎日の生活の中で、ちゃんと「選ぶ」「決める」機会を作ってあげているのか?
 
 理解する力は弱いのかもしれない。
 でもその部分を底上げ(支援)することで、ちゃんと意思を持つことができるはず。

 子ども達は、理解は良く出来なくても、意思をしっかり持てる人間にはなれるかもしれない。


 今日は、ケアホームの支援員さんも来てくださいまして、とても良いお話が聞けました。
 あのような支援者さんは、たくさんいる(と思いたい)のです。

 意思を出してくれさえすれば、周囲の支援者も、みんなで努力して、なんとか敵えようと頑張るのです。
 実現するための努力や工夫は、本人以外の人間でも代行できます。
 でも、考えて意思を持つことは、代行できないのです。

 まだ大人では無いお子さんといる私達(親御さんも支援者も)が、今できること、子どもに対してやるべきこと、教えていくことが、少し整理されたような気がします。

 そんなぷくぷくくらぶでした。

 さて!明日の夜はてくてくセミナーです。
 今、レジュメを印刷しています(>< 遅い!)
 何せ明日は朝早くに静○に出かけてしまい、そのまま夜はセミナーだから…。
 明日も頑張りますよ~!DSC02944.jpg
変な寝方のふたり…疲れた気持ちも癒されます…(おかしかないかっ!?ふたりとも)。
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